2014-06-19 第186回国会 参議院 農林水産委員会 第18号
具体的な幹事会のメンバーにつきましては、茨城県の企画部長、土木部長、生活環境部長、埼玉県の企画財政部長、企業局長、千葉県の総合企画部長、県土整備部長、東京都の都市整備局長、水道局長及び検討の主体であります関東地方整備局の河川部長というふうになっております。
具体的な幹事会のメンバーにつきましては、茨城県の企画部長、土木部長、生活環境部長、埼玉県の企画財政部長、企業局長、千葉県の総合企画部長、県土整備部長、東京都の都市整備局長、水道局長及び検討の主体であります関東地方整備局の河川部長というふうになっております。
そして、この中において、近畿地方整備局の河川部長を務められ、また、国土交通省のたしか防災課長を務められたと思います。その後、御自分の家業を継がれるために鴨川のほとりでお仕事をされるようになり、そして、委員長を務められました。 実は金子さん、金子さんはたしか会見で、あるいはテレビも早とちりをして大戸川ダム凍結とか中止とか、そういう言葉が躍りました。
この委員会は、近畿地方整備局で河川部長を務められた宮本博司さんという方が委員長であられます。二年ほど前に御自分の第二の人生というもの、家業を継がれるという天下りとはおよそ無縁な人生を歩まれた方ですが、公募によって委員長に就任された方です。
それから、委員先ほどございましたように、この協議会は、現場の地方整備局の河川部長が直接、現場に任せるのではなくて局として直轄で、関係の和歌山県それから九度山町等々の地方公共団体と相談しながらやるという体制をつくっているわけでございます。
当時、私は中部地建の河川部長をやっておりまして、渇水対策の最高責任者で大変苦労した覚えがございます。 今、委員御指摘の全流出量を言われましたが、実はこの全流出量に隠れている、一番河口から二十四キロにある木曽大堰という堰がございます。
自然環境の問題についても、御存じかもしれませんが、建設省土木研究所河川部長の宇多さんという方が書いた「日本の海岸侵食」という本によりますと、漁港の防波堤等の建設によって、どの程度のことかは私も判断できませんけれども、白砂青松が失われつつある、漁港だけではないと思いますけれども、というようなことでありますし、環境庁の自然環境保全基礎調査によりますと、この二十年で八百七十キロの自然海岸が失われた、こういうことになっております
○政府参考人(竹村公太郎君) 現在、建設省四国地建河川部長が地域の代表の方々と、大臣が現地に入ってどのような形でお話し合いをするかということについて内容を詰めております。
○松下分科員 河川局長は、以前は九州地方建設局の河川部長もしておられましたので、この川のことについては上流から下流一貫して御承知だと大変うれしく思っております。 今いろいろお話しいただきましたけれども、拠点都市の第一次指定になっている地域でございまして、南九州の大きな拠点として発展していこうとするその突破口がこの川内川の改修でございまして、その一番大きなところが市街地にかかった。
例えば、参議院の皆さんの仲間の陣内議員は九州地建、私が大臣のときの河川部長であります。それから、前の建設省の藤川道路局長というのは九州地建の局長であります。それから、今、事務次官をしておる藤井君は、中部地建の局長をしてそれから道路局長になりまして事務次官になりました。
また、小貝川につきましては、国の直轄事業として従来から改修を促進してきたところでございますが、現在まだ破堤による溢水はんらんが続いておりますので、現地におきましては関東地方建設局の河川部長を本部長とする災害対策本部を現地に設置しまして、目下応急復旧に全力を尽くしているところでございます。
そこで、私も東京都の河川部長等にも会いまして、水害の実情を調査してみました。そうしますと、最近の都市水害というのは、河川の水があふれて出る溢水はんらんより、かえって流域における内水洪水といいますか、下水道からあふれ出るとか、鉄砲水のように低地に水が集中してくるとか、そういうのが増大しているわけです。
○田代由紀男君 私どもも、調査団の前でも、地建の河川部長が激特でやるように検討すると言っておりますので、ぜひ御検討をお願いします。 それから加勢川改修でありますが、今回の被害は一千四百ヘクタールの水田が冠水して、その三分の一が枯死状態でありまして、関係農民は花然自失のていでありました。
今永幸人、これは退職年月日、五十五年十二月一日、最終官職は関東地方建設局河川部長、これは丸徳興業のやはり顧問。みんなそういったような建設業界の顧問になっておるわけなんです。ですから、私、この人々の経歴、この中で個人的な家庭事情もあります。それ全部削ってあります。私が削ったのです、これは個人的、プライベートに関係するといかぬと思いまして。こういったような状態なんですね。
○瀬崎委員 この地建の河川部長が、特別な好意で三井に別に一本工事を考えてやる、こんなことがあっていいのかどうか。それとも建設省では、JV比率が不利な業者に対して別に一本工事を考えるような、思いやり発注といいますか、何かこういう仕組みになっているのですか。
○川本政府委員 先生いまお話しの、その任期ははっきりはいたしませんけれども、北陸地建の河川部長の前は会計検査院の技術参事官だったと思います。
当局として、当社の比率の不利に対し良く理解している様子で、別に一本何か工事を考える(河川部長)との好意にあづかっている。」 時間がありませんので、こちらの方から申し上げますが、この当時の北陸地建河川部長は岸田隆氏なんですよ。この岸田隆という方は、現在本省の河川計画課長ではありませんか。
犀川排水機場、「最近西松が動いていたが、先週末河川部長(鈴木)より名古屋支店石田に口頭で、西松に決定として宣告された」。この鈴木という人は鈴木富千代氏で、現在はすでに退職済みですね。「当社には三重工事、河原田排水機場を割り当てられた」発注者である河川部長から、西松に決定とか、そのかわりに河原田排水機場を割り当てる、こんなことが行われているのですね。もうこうなったら、入札なんて全く儀式ですよ。
○金井政府委員 この井田至春氏につきましては、昭和四十七年の四月一日に離職予定ということで人事院の方には申請が参りまして、私どもで四月十一日付で承認をしたわけでございますが、承認の理由といたしまして、この方は離職前五年間に在職した官職が、東北地建の山形工事事務所長、地建の室長、それから河川部長等を歴任しておるわけでございます。
昭和二十一年北大工学部の卒業で、すぐ内務省に入り、その後建設省に移って、昭和四十七年四月、東北地方建設局河川部長で退職して三井建設に就職となっております。この場合は、当然、三井は建設省と契約関係にあるわけですから、人事院の審査を受けていると思います。当然、条件がつかなければ認められないケースと思いますが、承認の条件にどういうことがありましたか。
それならどういうことをするかという一つの案を当時の中国地建の河川部長が示しておりましたが、それは小さい河川が入っておるところの堤防のところへ川上の方から堤防を築いてまいりまして、本流の流れも変えていくし、それから横の方からの流れも変えていくという方法しかないのではないか。
○横山委員 要するにその一千万円、工事が完了した、銭は業者に払っちゃった、あるいは出納官吏が持っておる一千万円は、全く県知事も何もわからぬ、裁量権がゆだねられた河川部長なり建設局長が裁量権を持っておる金ですな。そのサインか何か知らぬが、それでうまいことやれる金だね。それが犯罪の温床、汚職の温床となっていることをお気づきですか。
あるいは現に関東地建の企画部長をやっている当時の河川部長さんもおいでになる、あるいは国道工事事務所あるいは天竜川上流工事事務所等の所長であってそのままいる人、それが転勤して本省に帰った人等もおります。
その隣に中部地方建設局河川部長の笠原繁雄さんが並ぶ。その他各隣接の市長さんが並んだり、県会議員が並んだり、町長が並んだり、客がずっとたくさん並んでいる一番上席に、主賓に、当時会計検査院の第三局建設第二課の総括副長河野百合雄さんが並んでおいでになる。 きょう私新聞を見ますと、斉藤さんという元第三局長は、招待状は受けたけれども、都合が悪くて欠席をした、こういうことを本人が談話を出しています。
河川部長の木村正昭氏、次が青木康夫氏、それから建設省の当時の治水課長の金子牧事氏、それから当時の北陸地建担当の課長補佐の岡崎忠郎氏、これらの人々に全部聞きましたけれども、皆さん全部記憶がないと、全く覚えていないという返事ばっかりでした。しかし、きわめて奇怪なことは、この連続提案を現地では決める、それを建設省では保留する。
ある新聞は、恐らくそのおもて書きには京坂当時河川部長の判しかなかったんじゃないかというようなことを言っていますけれども、それはわかりませんよ。そういう疑惑も出るような奇怪なことなんですよ。四十二年から四十四年まで、ちょうど一番問題になる部分のおもて紙がなくなってしまうと、別にとじていたらそれもたまたま紛失しましたと。 さらに、重大な疑惑がこの霞堤から連続堤については残っております。